広島百景

土生玄碩(はぶげんせき) [ 1762~1848 ]

土生玄碩肖像画(安芸高田市歴史民俗博物館画像提供)

玄碩は安芸国高田郡吉田の代々の医家で、眼科医土生義辰の長男として生まれました。17歳の時に大坂で外科、京都で内科を学んだ後、帰郷し開業しました。1803年42歳のとき広島藩の藩医となり、江戸で広島藩第7代藩主・浅野重晟の6女で南部利敬の正室である教姫の眼病を治療し名声を上げ、1810年には江戸幕府奥医師となりました。1826年オランダ商館医師シーボルトから散瞳薬(さんどうやく)※を貰い、お礼として将軍拝領の紋服を与えたことが2年後に発覚し、財産没収・禁固となりますが、後に赦されました。
※散瞳薬・・・瞳孔を意図的に広げるために使用する薬
参考文献 「朝日日本歴史人物事典」朝日新聞社(1994.11)P1336
     「眼科医家人名辞書」思文閣出版(2006.10)P140‐149
     「日本洋学人名事典」柏書房(1994.7)P303‐304
     「高田郡史 上巻」(1972.8)P818‐822

校正 安芸高田市教育委員会生涯学習課

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