広島百景

多賀庵風律(たがあんふうりつ) [ 1698~1781 ]

福原氏所蔵(広島市公文書館画像提供)

広島塩屋町(広島市中区)に生まれ、木製の塗り物を商い、木地屋と称しました。若い時から俳諧を志し、芭蕉の門人志太野坡(しだやば)が広島に来ると、その愛弟子となりました。隠居すると野坡を広瀬村(広島市中区)油池にあった別邸に招き、奥州多賀城碑になぞらえた船板を立てたので、それにちなんでこの庵を多賀庵というようになりました。風律以後の広島の俳諧の主流はこの多賀庵の系統によって占められるようになります。風律は才能、学識ともに優れ、著書に「俳諧浅緑」「月花篇」などの俳論書のほか、「ささのは」(句集)などがあります。
参考文献 「広島県大百科事典(上下)」中国新聞社(1982.11)下P35
     「新修広島市史(第4巻)」広島市(1958.12)P229~230

校正 広島県立文書館

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