広島百景

富田久三郎(とみたきゅうさぶろう) [ 1828~1911 ]

富田久三郎(福山市画像提供)

医師の富田又右衛門(長安)の二男として芦田郡下有地村(現福山市芦田町)に生まれました。1846年久三郎が18歳の時、阿波の人が残していった「織絹法」から、当時神辺や福山方面でつくられていた木綿織物に応用することを思いつき、工夫を重ね、備後絣という織物を誕生させました。また、貧しい農家には織機を貸して賃織りをするなど経営に改良工夫を加え、1880年頃は年間11万5000反と多額の生産をあげました。農家の副業化を図り、同業者の組合をつくるなど業界の先頭に立ち指導的な役割を果たしました。
参考文献 「日本人物風土事典」日本図書センター(2011.6)P331‐332
     「広島県大百科事典(上、下)」中国新聞社(1982.11)下巻P185

校正 広島県立文書館

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