菅茶山(かんちゃざん) [ 1748~1827 ]
菅茶山肖像画(部分)画像(重要文化財菅茶山関係資料・広島県立歴史博物館蔵)
菅茶山は、1748年に西国街道の宿場町である備後国(広島県)神辺(現在の福山市神辺町)で農業と酒造業を営む家に生まれました。1766年、19歳の時、茶山は学問を深めるため京都に出て、医学と儒学を学びました。1781年、34歳の時、神辺に「黄葉夕陽村舎」を建て、私塾(後の「廉塾」)を開き、1801年には福山藩校「弘道館」の儒官となりました。神辺だけでなく全国各地から集まった多くの生徒が茶山のもとで学びました。また、伊能忠敬など全国各地の知識人も神辺を訪れた際は茶山と会っており、幅広いネットワークを持っていました。
校正 菅茶山記念館
広島県立歴史博物館
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