頼杏坪(らいきょうへい) [ 1756~1834 ]
頼杏坪肖像画(個人蔵)
1785年広島藩儒となり学問所の職務に精励し、幕府の「寛政異学の禁」に呼応して、宋学の興隆に専念しました。家庭的には頼山陽の教育に力を注ぎ1797年に、春水に代わって江戸に下り、世子の侍講を勤めました。また、郡代官や三次町奉行など、行政官としても活躍しました。
校正 頼山陽史跡資料館